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盛岡地方裁判所 昭和43年(行ウ)9号 判決

盛岡市浅岸字大塚六五の一〇

原告

中村真夕美

右訴訟代理人弁護士

大沢三郎

同市本町通三丁目八―三七

被告

盛岡税務署長

武者敏雄

右訴訟代理人

清水信雄

渡辺芳弘

家藤信正

斎藤啓

鍋島正幸

伊藤洋逸

山口登

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一、当事者双方の求める裁判

一、原告

被告が原告に対し昭和四二年二月一七日にした別表第一〈1〉欄記載の原告の相続税に関する更正処分(ただし仙台国税局長の昭和四二年一二月二八日の裁決により別表第一〈2〉欄記載のように減額された金額)のうち別表第一〈3〉欄記載の各金額を超える部分を取り消す。

訴訟費用は被告の負担とする。

二、被告

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

第二、原告の主張

一、原告は昭和三九年一二月一七日死亡した中村重治(以下被相続人という。)の相続人であるが、昭和四二年二月一七日被告は原告がした相続税申告(別表第一〈4〉参照)につき更正処分(同〈1〉参照)をした。原告は相続税更正処分を不服として昭和四二年七月一七日審査請求をしたところ、仙台国税局長は昭和四二年一二月二八日相続税更正処分の一部を取消したうえ、原告の納付すべき相続税等を別表第一〈2〉欄記載の各金額とする旨の裁決をし、昭和四三年一月一一日付書面でその旨原告に通知した。

二  別表第二原告主張額を超える部分は違法である。

(一)  宅地 裁決額〈1〉三六、五六六、六九〇円、被告主張額〈3〉三三、四三〇、六八八円

イ 盛岡市神明前五六の一 宅地一五八坪六七

裁決額〈1〉三、五〇七、二二五円、申告額〈2〉三、七三四、六三九円、原告主張額〈3〉三、五〇七、二二五円、〈1〉〈3〉の差なし

ロ 同神明前五七の一 宅地一九〇坪四七、同五七の二 宅地一一九坪四〇計三〇九坪八七

裁決額〈1〉二九、二八八、九三六円、申告額〈2〉二六、一五二、九三四円、原告主張額〈3〉二六、一五二、九三四円、〈1〉と〈3〉の差額三、一三六、〇〇二円

被告は右二筆の土地を三分し、そのうち一区分一六一坪二一についてはこれを貸家建付地(宅地か貸家の目的に供されている宅地、以下貸家建付地という。)としてその余の二区分については貸宅地(借地権の目的となつている宅地、以下貸宅地という。)として各評価しているが、その根拠が明らかでない。

右宅地二筆は相隣接して存在し、原告はこれを一括して光商事株式会社に賃貸しているのであるから、これを三分して各別に評価すべき理由はない。

被告は右土地のうち一六一坪二一の地上には被相続人所有の家屋番号三六番の二木造亜鉛メツキ鋼板葺二階建居宅の建物があり、その建物が光商事に貸付されていると主張し、右土地部分を貸家建付地として評価している。そして貸家建付地と認定した根拠の一に原告が右建物を貸家として申告したことを挙げている。

五七番の一地上に右建物の存在したことは認めるが、その建物が光商事に貸付されていた点は否認する。

右建物は相続開始当時誰も使用していなかつたし、朽廃の度が甚しく倒壊の危険さえあつて、建物としての効用が殆ど失われ貸家とすることはできない状況にあつた。

原告は右建物を貸家として評価の上申告したことは認めるが、右申告は錯誤にもとづくもので誤りである。

因みに原告は右二筆の土地を貸宅地としてのみ評価し申告しているのであるから、同上建物を貸家として評価したことは矛盾するものであつて貸家としての申告したのは誤りであること明らかである。

右土地の原告主張の価額二六、一五二、九三四円は次の要領により算出した。

〈1〉 正面路線価

坪当り一二五、〇〇〇円×〇・九三(一六・六七間に応ずる奥行価格逓減率)=一一六、二五〇円

〈2〉 側方路線加算

坪当り評価七一、〇〇〇円×〇・八九(二〇・四九五間に応ずる奥行価格逓減率)×〇・〇五=三、一五九円

〈3〉 二方路線加算

坪当り二五、〇〇〇円×〇・九三(一六・六七間奥行価格逓減率)×〇・〇五=一、一六二円

計 〈1〉+〈2〉+〈3〉=一二〇、五七一円×三〇九・八七(坪数)×〇・七(借地権割合)=二六、一五二、九三四円

ハ 盛岡市神明前五八の三 宅地四五坪四九

右土地は貸付地であつたのでその評価をし、裁決額〈1〉が三、七七〇、五二九円、申告額〈2〉三、八七二、五八六円、原告主張額〈3〉三、七七〇、五二九円で〈1〉、〈3〉の差はなし、

(二)  家屋 裁決額〈1〉二、四三九、三五〇円、申告額〈2〉二、一九六、〇四三円、原告主張額〈3〉二、五三四、五六九円〈1〉、〈3〉の差額九五、二一九円

イ 盛岡市神明前五六の一 家屋番号二八 六五坪の店舗

申告額〈2〉四五三、七六七円、裁決額〈1〉、主張額〈3〉とも四三六、四九九円

ロ 右同所 家屋番号三〇 居宅二四坪五〇

申告額、裁決額〈1〉、主張額〈3〉とも一一五、〇〇二円

ハ 右同所 家屋番号三二、三三 店舗三九坪五〇

申告額 二一一、八二〇円、裁決額〈1〉 主張額〈3〉とも〇

ニ 右同所 店舗一三三坪〇五

申告額〈2〉一、三〇八、二八〇円、裁決額〈1〉、主張額〈3〉とも一、六六五、六七三円

ホ 盛岡市神明前五七の一 家屋番号三六の二店舗七一坪五〇

申告額〈2〉二二二、一七六円、裁決額〈1〉二二二、一七六円、主張額〈3〉三一七、三九五円、〈1〉、〈3〉の差額九五、一一九円

右建物は貸家でないので貸家として時価申告すべきでないのに貸家としたのは錯誤によるものであることは前記のとおりである。

(二)  株式出資

裁決額〈1〉、主張額〈3〉一、三七三、六一四円、申告額〈2〉二、〇三一、九三五円

(四)  現金、預貯金

裁決額〈1〉六、六四三、三八八円、申告額〈2〉一、九四〇、四二五円、主張額〈3〉二、九八〇、五五一円、〈1〉、〈3〉の差額三、六六二、八三七円

イ 現金五六、四六〇円については問題なし、

ロ 預貯金

裁決額〈1〉六、五八六、九二八円、申告額〈2〉二、八八三、九六五円、主張額〈3〉二、九二四、〇九一円

主張額の内訳

1 岩手銀行本店 四、一三六円 中村重治名義

2 〃 七、一三四 〃

3 富士銀行盛岡支店 一三、二三九 〃

4 東北銀行本店 一二、八五〇 〃

5 岩手銀行本店 三〇一、四四四 〃

6 弘前相互盛岡支店 三〇六、〇一三 〃

7 〃 五一一、八七五 〃

8 富士銀行盛岡支店 六〇〇、〇〇〇 〃

9 弘前相互盛岡支店 一、一四〇、〇〇〇 〃

10 岩手銀行大通支店 二七、四〇〇 〃

二、九二四、〇九一円 〃

右1・4・7番号の預金は原告の申告もれによる

ハ 定期預金について

弘前相互銀行盛岡支店に対する次表の定期預金債権七口計三、五三六、五三八円及びこれに対する利息債権一一九、二四六円は被相続人とは関係のないものであるのに、裁決においては右預金等債権はいずれも相続財産中の積極財産として計上している。

〈省略〉

(イ) 番号六八の預金債権は中村和豊が昭和三九年六月八日中村タカ(被相続人妻)より贈与によつて取得したものであるが、右和豊は原告の子で相続人受遺者でないから、右贈与債権は相続財産に属さない。

(ロ) 番号一五二の預金債権は中村重高が昭和三九年一一月一七日被相続人から贈与をうけて取得したものであるが、右重高は相続人受遺者ではないから右債権は相続財産に属さない。

(ハ) 番号二四六の預金債権は中村タカ(被相続人の妻で被相続人より前に死亡)が昭和三九年二月一八日預入れたタカ固有のもので被相続人の財産ではなかつたのであるから、相続財産に含まれない。

(ニ) 番号六八二の預金債権は原告のもので相続財産に属さない。

(ホ) 番号七九の預金債権は中村繁次郎が贈与のため昌彦名義で預入れしたもので、相続財産に属さない。

(ヘ) 番号九〇四、一〇二七の無記名定期預金債権は中村繁次郎において昭和三二年一二月一日盛岡市の都市計画事業に際し買収された土地代金及び養子縁組の持参金を預入れして有しているもので、相続財産に含まれない。

ニ 中村タカ名義の岩手銀行本店に対する番号九二四六三の普通預金債権七、〇五三円は名義人の固有のもので、相続財産に属さない。

ホ なお、被相続人は生前前記定期預金を預入した当時、結核罹患のため療養をなし、かつ旅館の建物増改築をして、支出を余儀なくされ、旅館業の運転資金に充当したりして、経済的に余裕がなく預金ができる状態にはなかつた。

また、被告は中村タカ、原告名義の預金をも被相続人のものとみなしているが、同人らは婚姻して、かなりの年月を経ており自己固有の預貯金を保有していたとしても不自然ではなく、扶養親族だから独自の預金があり得ないとする被告の主張は失当である。

(五)  家庭用動産 裁決額〈1〉二八二、三〇〇円、申告額〈2〉、主張額〈3〉八〇、〇〇〇円〈1〉、〈3〉の差額二〇二、三〇〇円被告は家庭用動産を一括評価の方法により更正したが、その評価は過大で当を欠くものである。

すなわち、

イ 被相続人の身廻品は同人が伝染性結核で死亡したことから、医師の奨めもあつて同人死亡と同時に焼却し、残されたものはその使用価値、交換価値が極めて少い。

ロ 主な備品は被相続人経営の旅館の資産に属しており、被相続人から相続人である原告に移つたものはタンス三竿、石油ストーブ一、電気コタツ一、洋服二で、それらもすべて型式が古く使い古されて使用価値、交換価値ともに著しく減少しているものばかりである。

ハ 被相続人自体身につける服飾類は、同人の好み、サイズ、形式等独特なものがあり、これを他に流用するのは困難であり、他の者による使用価値、交換価値は極めて少く被告の評価は過大である。

ことにも被相続人は伝染性の強かつた結核に罹つていたことを考慮するならば、その価値は激減すること明らかである。

(六)  生命保険金 三〇万円 問題なし

(七)  その他の財産

裁決額〈1〉二、四一二、九三八円、申告額〈2〉一、八六三、四七〇円、主張額〈3〉一、九一二、九三八円〈1〉、〈3〉の差額五〇万円(有)光荘に対する原告名義の五〇万円の貸金債権は原告が夫中村繁次郎からうける贈与金を貸付けたもので原告固有のものである。被告が二、四一二、九三八円に右五〇万円の資金債権を含めたのは失当で、右五〇万円を調査額から差引くべきである。

三、生命保険契約上の権利の加算

原告は母中村タカが昭和三九年一〇月一六日死亡した際受取人として生命保険金を取得したが、裁決においては右保険の保険料は全額被相続人において負担支出したと認定して保険料相当額五〇万円を相続開始前三年以内の贈与加算額中に加算した。

ところが、保険料は被保険者である中村タカにおいて支出していたもので、被相続人がこれを負担していなかつたのであるから、保険金を相続財産に加算するのは不当である。

四、重加算税の賦課決定

原告は若干の申告洩れのあつたことは認めるが、それは前述のように相当の理由によるもので、被告主張のように仮装隠ぺいする意図をもつてしたものではない。

よつて被告のなした重加算税賦課決定処分は違法で取消されるべきである。

五、被告主張事実のうち第一項(課税の経過)は全部認める。第二項の重加算税の賦課決定の経過中被告主張のとおり過少申告加算税、重加算税が賦課されてその旨通知があつたこと、異議申立、審査請求をしたこと、それに対してそれぞれ被告主張の結果が出たことは認めるが、原告が隠ぺい仮装申告をした点は否認する。

六、なお、被告は、相続税納付額は申告書提出のときに当然に確定するものであり、原告が申告によつて確定せしめた税額の一部についても国税通則法第二三条に定める手続を経ることなく訴訟に至つて申告額の取消を求めることは許されないと主張する。

ところで、相続税額の確定は、国税通則法一六条一項一号によると、原則として申告のときであるとされているが、その税額が税務署長の調査したものと異なる場合には税務署長が処分したときである。

本件において被告は原告の申告税額については更正処分をしているのであるから、税額の確定時期はその処分のあつたときであり、一応の確定税額はその更正額である。しかも被告のなした更正は本件争訟の対象物を除いた他の各物件、権利については多くの場合原告の申告における評価が過大であるとしてこれを減少評価しているのを内容とするもので、原告はその被告の評価減を援用して主張額を算出したものであるから、申告額を下廻つて取消を求めることはできないとの被告主張は理由がない。

第二、原告の主張に対する答弁および被告の主張

(答弁)

第一項の事実は認める。

第二項(一)、(二)、(四)、(五)、(七)の各〈3〉(原告の主張額)の金額は争うが、(三)、(六)の各〈3〉の金額は認める。

第三、四項および第六項は争う。

(被告の主張)

一  課税の経過

(一) 原告は、昭和三九年一二月一七日訴外中村重治の死亡により相続が開始されたことに伴い、相続により財産を取得した。

(二) そこで原告は、昭和四〇年六月一五日相続税の課税価格四〇、三五二、一〇〇円、納付すべき相続税額一二、五六五、五六〇円と記載した相続税の申告書(昭和四〇年法律第四号による改正前の相続税法((以下、単に相続税法という。))第二七条による申告書)を被告盛岡税務署長に提出した。

(三) ところが、原告の提出した相続税の申告書に記載された相続税の課税価格は、被告盛岡税務署長の調査したところと異なり過少となつていたので、被告盛岡税務署長はその調査により原告の相続税の課税価格を四六、九八四、六〇〇円、納付すべき相続税額を一五、五四三、六九〇円と更正し、さらに過少申告加算税を五五、一〇〇円と、重加算税を五六二、五〇〇円と賦課決定して、それぞれ昭和四二年二月一七日付で原告に通知した。

なお、原告らに対する更正および過少申告加算税、重加算税の賦課決定の状況は別表第三更正額欄のとおりである。

(四) これに対し昭和四二年三月一七日原告から異議申立てがあつたので、被告盛岡税務署長はこれを調査したところ、重加算税の賦課決定については、重加算税の基礎とした税額の中に過少申告加算税の基礎とすべき税額が含まれていたものと認められたが、その余については異議申立てに理由がないと認められたので、昭和四二年六月一六日重加算税について一部取消し(取消しした重加算税は三一五、九〇〇円)するとともに、過少申告加算税について増額(増額となつた過少申告加算税は五二、七〇〇円)し、その余については棄却する旨の異議決定をなし、同日その旨原告に通知した。

(五) しかるところ、原告は更にこれに対し、昭和四二年七月一七日付で訴外仙台国税局長に対し審査請求をなしたので、訴外仙台国税局長はこれを調査したところ、相続税の課税価格については、原告の相続により取得した財産のうち家庭用動産の評価が過大と認められたが、その余は審査請求に理由がないと認められたので、当該過大と認められた九七、七〇〇円を減額することとし(その結果、原告の差引相続税額((別表第三の〈6〉欄記載の税額))は四五、一九〇円減額する。)また、過少申告加算税については、異議決定にあたり、当初賦課決定額に五二、七〇〇円を増額して一〇七、八〇〇円と賦課決定しているが、この賦課決定は、いわゆる不利益変更処分であつたため(行政不服審査法四七条)、当該不利益変更処分と認められる増額部分の五二、七〇〇円を減額することとし、昭和四二年一二月二八日付でその旨(原処分の一部を取消し)の裁決をなし、昭和四三年一月一一日これを原告に通知した。

なお、異議決定、裁決の状況は、別表第三の異議決定、裁決欄のとおりである。

二  重加算税の賦課決定の経過

(一) 前述一(三)のとおり被告盛岡税務署長はその調査により、原告の相続税の申告書記載課税標準額が過少であつた事実を発見したのであるが、その過少である課税標準額のうちに原告が実質相続財産であるにかかわらず隠ぺい仮装して申告を漏らした弘前相互銀行盛岡支店定期預金が、別表第四「隠ぺい仮装財産の明細表」(以下単に別表第四という。)のとおり存したので、当該別表四の「更正の際重加算税の対象とした額」欄記載の額を重加算税を課す部分とし、それ以外の過少申告額を過少申告加算税を課す部分とし、国税通則法六五条、六八条および同法施行令二八条の規定に基づいて別表第五のとおり計算したところ、過少申告加算税の計算の基礎となる相続税額は一、一〇二、〇〇〇円(実際は一、一〇二、七一〇円であるが、国税通則法一一八条一項の規定により端数金額切捨と、重加算税計算の基礎となる税額は一、八七五、〇〇〇円(実際は一、八七五、四二〇円であるが、国税通則法一一八条一項の規定により端数金額切捨)と算定されたので、前者については当該金額に百分の五を、後者については百分の三〇をそれぞれ乗じて、過少申告加算税五五、一〇〇円、重加算税五六二、五〇〇円を賦課決定し、昭和四二年二月一七日付で原告に通知した。

(二) ところが原告から異議申立てがあつたので、被告盛岡税務署長はこの異議決定にあたり原告の隠ぺい仮装財産は別表第四の「異議決定の際重加算税の対象とした額」欄のとおりであると認め、この結果、別表第五の計算のとおり過少申告加算税の基礎となる相続税額を二、一五六、〇〇〇円と、重加算税の基礎となる相続税額を八二二、〇〇〇円と改め、これを基として過少申告加算税を一〇七、八〇〇円、重加算税を二四六、六〇〇円と算定した。

(三) ところが、その後原告から審査請求がなされ、訴外仙台国税局長はこの調査を行なつた結果、原告の隠ぺい仮装した財産は別表第四の「更正の際重加算税の対象とした額」欄記載のとおりであり、従つて昭和四二年二月一七日付で賦課決定した重加算税の金額が正当であると認められたが、いわゆる不利益変更処分ができないために、裁決において重加算税の金額は、異議決定の額(二四六、六〇〇円)そのままとしたものである。

三  課税の理由について

被告盛岡税務署長は、その調査により原告および中村京子ならびに中村繁次郎(以下相続人らという。)の相続または遺贈に因り取得した財産の価額を五〇、一一五、九八〇円と算定し、この金額から相続税法一三条に定める債務控除三、〇二五、三八一円を控除し、更に同法一九条による相続開始前三年以内の贈与加算額六九八、九三四円を加算して原告を含む相続人らの課税価額の合計額を四七、七八九、四〇〇円(実際は、四七、七八九、五三三円であるが国税通則法一一八条一項の規定により端数切捨て)と算定したのであるが、その算定は次によりなされたものである。

1 原告を含む相続人らの相続または遺贈により取得した財産の価額は、申告額四四、一七二、〇三二円であつたのに対し、被告はこれを五〇、一一五、九八〇円と算定したが、その内訳は次のとおりである。

(一) 宅地 申告額三三、七六〇、一五九円、被告調査額三六、五六六、六九〇円

イ 被相続人所有である盛岡市神明前五六ノ一所在宅地一五八坪六七については、貸家建付地であつたのでその地積一五八坪六七に当該宅地を自用地とした場合の坪当評価額(以下自用地坪当評価額という。)二四、二九〇円を乗じて得た自用地としての価額三、八五四、〇九四円から、その自用地としての価額に、当該宅地の借地権割合(〇・三)とその貸家にかかる借家権割合(〇・三)との相乗積(〇・〇九)を乗じて計算した価額を控除した価額三、五〇七、二二五円を被告調査額とした。

自用地坪当評価額 自用地としての価額

(注) 158坪67×24,290=3,854,094円

自用地としての価額 借地権割合 借家権割合 評価額

3,854,094円×{1-(0.3×0.3)}=3,507,225円

ところで、この宅地の原告ら申告額は、三、七三四、六三九円であつたものである。

ロ 被相続人所有である盛岡市神明前五七ノ一所在宅地一九〇坪四七および同市神明前五七ノ二所在宅地一一九坪四〇の計三〇九坪八七は一区画の宅地であるが、この宅地を利用の単位となつている画地ごとに区分すると、貸宅地五〇坪、貸家建付地一六一坪二一および貸宅地九八坪六六の三画地と認められたので、これをそれぞれの画地ごとに次により評価して被告調査額としたものである。

(イ) 貸家建付地一六一坪二一の地上には被相続人所有の家屋(家屋番号三六の二)が存し、当該家屋は光商事(株)に貸付けられていた(原告らの家屋の相続税申告額算定にあたつても、この家屋は貸家七一坪五合、価額二二二、一七六円と申告されている。)ので、この宅地は貸家建付地と認め、その地権一六一坪二一に自用地坪当評価額一一一、三二一円を乗じて得た自用地としての価額一七、九四六、〇五八円から、その自用地としての価額に、当該宅地の借地権割合(〇・三)と、その貸家にかかる借家権割合(〇・三)との相乗積〇〇九を乗して計算した価額を控除した価額一六、三三〇、九一二円を被告調査額とした。

(注) 自用地坪当評価額 自用地としての価額

161坪21×111,321円=17,946,058円

自用地としての価額 借地権割合 借家権割合 評価額

17,946,058円×{1-(0.3×0.3)}=16,330,912円

なお、この宅地を被告が貸家建付地と認めて、貸家建付地としての評価を行なつたことについて、原告は違法であると主張しているが、当該宅地上に被相続人所有の家屋(家屋番号三六の二)が存し、当該家屋は貸家であるとして原告が相続税の申告を行なつているのであるから、原告においても、この宅地は貸家建付地であることを自認しているものであり、被告がこの宅地を貸家建付地として評価したことに何らの違法は存せず、また仮に、原告主張のように当該家屋が借家権の目的となつている家屋でなかつたとすれば、当該家屋の評価額はむしろ自用家屋としての評価額となるべきで、また、その敷地であるこの宅地の評価額は自用地としての評価額となるべきであり、その結果として被告調査額を上回る評価額が算定されることとなるから、いずれにしても被告調査額が過大であつたとする原告の主張は失当というべきである。

(注) 相続税の評価にあたつて、借地権の目的となつている宅地については、自用地としての価額からその借地権の価額を控除して評価しているが、貸家の目的に供されている宅地については、自用地としての価額から借家人の有する宅地に対する権利の価額を控除して評価しているものである。の借家人の有する宅地に対する権利は、借地人の有する借地権と対比し、極めて僅少なものと解されるから、結局、同一の宅地が仮に貸家建付地として利用されていた場合と、貸宅地として利用されていた場合とを比較すれば、貸家建付地としての価額が貸宅地としての価額より、より高額となるものであり、仮にその宅地が自用地として利用されているとすれば、自用地には借地人や借家人の有する権利が付着していないのであるから、前二者よりもさらに高額の評価額となるべきものである。

(ロ) 貸宅地五〇坪は、光商事(株)に貸付けられていたので、その地積五〇坪に自用地坪当評価額一二五、〇〇〇円を乗じて得た自用地としての価額六、二五〇、〇〇〇円から、その自用地の価額に当該宅地の借地権割合(〇・三)を乗じて得た価額を控除した価額四、七五三、〇〇〇円を被告調査額とした。

(注) 自用地坪当評価額 自用地としての価額

50坪×125,000円=6,250,000円

自用地としての価額 借地権割合

6,250,000円×(1-0.3)=4,375,000円

(ハ) 貸宅地九八坪六六は、光商事(株)に貸付けられていたので、その地積九八坪六六に自用地坪当評価額一二四、二八〇円を乗じて得た自用地としての価額一二、二六一、四六四円から、その自用地の価額に当該宅地の借地権割合(〇・三)を乗じて得た価額を控除した価額八、五八三、〇二四円を被告調査額とした。

(注) 自用地坪当評価額 自用地としての価額

98坪66×124,280円=12,261,494円

自用地としての価額 借地権割合

12,261,464円×(1-0.3)=8,583,024円

(ニ) 右(イ)ないし(ハ)による計算の結果、盛岡市神明前五七ノ一および同所五七ノ二の計三〇九坪八七宅地の被告調査額は、二九、二八八、九三六円となつたものであるが、これに対し、この宅地の原告申告額はその総てが貸宅地であるとして二六、一五二、九三四円と計算されていたものである。

(ホ) なお、原告は、右宅地について被告の画地計算を不服であると主張するが、本宅地(右二筆の宅地をいう。以下同じ)については、宅地四一年九月被告の職員が現地に臨場して、原告の夫であり、光商事株式会社の社長である中村繁次郎および本件相続税の関与税理士宮田実の事務員中村知義などから説明を受け、更に、本宅地の一部についての実測図の提示を受けて、その説明および本宅地の利用状況を確認したうえで計算を行なつたものであるから被告の計算に誤りはない。

即ち、三画地のうち東部の光商事株式会社のガソリン部事務所が存したガソリンスタンド用地(九八坪六六)については、光商事株式会社の所有家屋が存しているので貸宅地とし、また、西北部の光商事株式会社のプロパン部事務所が存した事務所用地五〇坪については光商事株式会社の所有家屋が存している(この家屋は本宅地の更に西部に隣接する中村繁次郎所有宅地上にも一部跨つて建てられている。)ので貸宅地としたものである。

残余の一六一坪二一部分については、被相続人所有の家屋が存し、その家屋は、本件相続開始時現在において光商事株式会社のプロパンガス充てん所としても利用されていたのでその敷地の用に供されている宅地は、貸宅地としなかつたものである。

(ヘ) ところで、原告は被相続人所有家屋の存した宅地をも含めて一括して光商事株式会社に賃貸していた。

即ち、そのすべてが借地権の目的となつている宅地であると主張するが、本宅地上には被相続人所有の家屋が存するのであるから原告の主張は失当である。

また、仮に原告主張のように被相続人所有の家屋が光商事株式会社に賃貸されていなかつたとすれば、その家屋は光商事株式会社が無償でプロパンガス充てん所として使用していたこととなり、当該無償使用人である光商事株式会社の、被相続人所有家屋および当該家屋の敷地に対する権利、(利用権または利用の事実)は、その経済的交換価値が僅かであり、敷地の価額に影響を及ぼすに至らないから、その土地の評価額は自用地としての評価額と等価となるべきで、結局その価額は、被告算定の価額を上回ることとなるものである。

(ト) また、原告は、本宅地上の被相続人所有家屋について貸家として評価申告したことは錯誤に基づくものであると主張されるが、本件相続税の申告にあたつては、当該家屋を光商事株式会社に賃貸している事実を知つている税理士が関与して、申告書に貸家と記載してあるのみならず、その評価額算出にあたつても、その自用家屋としての価額から、借家権の価額を控除した価額をもつて評価申告したものであるから、原告の主張は失当である。

また、仮に、貸家であるとの申告が錯誤に基づいたとしても、国税通則法第一九条により修正申告を提出することができるのに、被告に対し、そのような修正申告書の提出をしなかつたのであるから、いずれにしても原告主張はあたらない。

(チ) 更に原告は、本宅地のうち二七三坪八七は貸宅地として評価すべきであると主張するが、この主張は、借地権の目的となつていない宅地、ことに前述プロパンガス充てん所に関連する用地や同所への通路用地についてまでも貸宅地としての評価をすべきであるとの主張であるからあたらない。

ハ 被相続人所有である盛岡市神明前五八ノ三所在宅地四五坪四九については、その実際の地積が四三坪七一と認められ、また、その宅地が貸宅地であつたので、(その実際の地積四三坪七一に自用地坪当評価額一二三、二三二円を乗じて得た自用地としての価額五、三八六、四七〇円から、その自用地の価額に当該宅地の借地権割合(〇・三)を乗じて得た価額を控除した価額三、七七〇、五二九円を被告調査額とした。

(注) 自用地坪当評価額 自用地としての価額

43坪71×123,232円=5,386,470円

自用地としての価額 借地権割合

5,386,470円×(1-0.3)=3,770,529円

ところで、この宅地の原告申告額は三、八七二、五八六円であつたものである。

(二) 家屋申告額二、一九六、〇四三円、被告調査額二、四三九、三五〇円

イ 被相続人所有である盛岡市神明前五六ノ一所在家屋番号二八の店舗六五坪については、その家屋が借家権の目的となつている家屋(以下貸家という。)であつたので、その家屋の昭和三九年度固定資産税評価額六二三、五七〇円に一・〇を乗じて(以下同額という。)自用家屋としての評価額を六二三、五七〇円とし、その家屋の価額から、その家屋の価額にその家屋にかかる借家権割合(〇・三)を乗じて計算した価額(以下借定権の価額という。)を控除した価額四三六、四九九円を被告調査額とした。

(注) 自用家屋としての評価額 借家権割合

623,570円×(1-0.3)=436,499円

なお、この家屋の原告申告額は四五三、七六七円である。

ロ 被相続人所有である盛岡市神明前五六ノ一所在家屋番号三〇の居宅二四坪五〇については、その家屋が貸家であつたので、その家屋の昭和三九年度固定資産税評価額一六四、二八九円と同額を同家屋の自用家屋としての評価額とし、その価額から借家権の価額を控除した価額一一五、〇〇二円を被告調査額とした。

なお、この家屋の申告については、原告はその申告を漏らしていた。

(注) 自用家屋としての評価額 借家権割合

164,289円×(1-0.3)=115,002円

ハ 被相続人所有であるとして原告から申告のあつた盛岡市神明前五六ノ一所在、家屋番号三二、同所在、家屋番号三三の店舗三九坪五〇は、その申告額が二一一、八二〇円であつたが、被告がこれを調査したところ、昭和三〇年四月一〇日取りにわされて相続開始時現在に存していないことが認められたので、被告調査額は零としたものである。

ニ 被相続人所有である盛岡市神明前五六ノ一所在家屋番号未決定の店舗一三三坪〇五は、その家屋が貸家であつたので、その家屋の昭和三九年度固定資産税評価額二、三七九、五三四円(この家屋の昭和三八年度固定資産税評価額も同額である。)と同額を自用家屋としての価額とし、その価額から借家権の価額を控除した価額一、六六五、六七三円を被告調査額とした。

なお、この家屋の原告申告額は一、三〇八、二八〇円である。

(注) 自用家屋としての評価額 借家権割合

2,379,534円×(1-0.3)=1,665,673円

ホ 被相続人所有である盛岡市神明前五七ノ一所在家屋番号三六ノ二店舗七一坪五〇はその家屋が貸家であつたので、その家屋の昭和三九年度固定資産税評価額三一七、三九五円と同額を自用家屋としての評価額とし、その価額から借家権の価額を控除した価額二二二、一七六円を被告調査額とした。

なお、この家屋の原告申告額も被告調査額と同額の二二二、一七六円であり、この家屋の敷地について、前述三、1、(一)ロ(イ)のとおり原告は貸宅地であると主張しているものである。

(注) 自用家屋としての評価額 借家権割合

317,395円×(1-0.3)=222,176円

(三) 株式出資申告額三、〇三一、九三五円、被告調査額一、三七三、六一四円

被相続人の所有株式・出資の被告調査額は次により算定されたものである。

イ 被相続人所有の東北電力株式会社の株式は、その所有数量二六株に一株当り五三九円を乗じて一四、〇一四円を被告調査額とした。この原告申告額は一三、四七五円である。

ロ 被相続人所有の東北電気工事株式会社の株式は、その所有数量三〇株に、一株当り五〇円を乗じて一、五〇〇円を被告調査額とした。この原告申告額も一、五〇〇円である。

ハ 被相続人所有の光商事株式会社の株式は、その所有数量五〇〇株に一株当り一、一四四円を乗じて五七二、〇〇〇円を被告調査額とした。この原告申告額は一、一四二、五〇〇円である。

ニ 被相続人所有の有限会社光荘の出資は、その所有数量七〇口に一口当り一一、二三〇円を乗じて七八六、一〇〇円を被告調査額とした。

この原告申告額は、一、八七四、四六〇円である。

(四) 現金、預貯金申告額二、九四〇、四二五円、被告調査額六、六四三、三八八円

イ 被相続人所有の現金は、原告ら申告額五六、四六〇円どおりと認めて、被告調査額も五六、四六〇円とした。

ロ 被相続人所有の預金については、左表申告額欄のとおりの原告申告額に対して被告調査額は左表被告調査額欄のとおりとした。

〈省略〉

なお、これら預金について原告申告額と異なつた被告調査額を計上した理由は次のとおりである。

(イ) 岩手銀行本店普通預金No.九六八〇七(右表順号中村重治名義四九〇、七三〇円減算)

この預金は、原告が相続財産であるとして申告したものであるが、被告がこれを調査したところ預金名義人は中村重治となつているが、その名聞は単なる名義の使用で、その実質は原告中村真夕美のものと認められたので全額減算したものである。

即ち、この預金は、昭和三十九年一一月一七日の預金預入れ四九〇、七三〇円によつて存在したものであるところ、この金円は、被相続人中村重治の妻中村タカが昭和三九年一〇月一六日死亡したことにより、大同生命との生命保険契約(保険金額五〇〇、〇〇〇円、被保険者中村タカ、保険金受取人中村真夕美)に基く保険事故が発生し、保険金受取人である原告中村真夕美が生命保険金を取得した(大同生命からは、当該保険金額から新規契約にかかる保険料を差引いて、その残四九〇、七三〇円を岩手銀行本店に振込まれた。)ので、これを中村重治名義普通預金として新規に預け入れたものであるが、その実質預金者は中村真夕美であるから相続財産である預金からは減算することとしたものである。

なお、前述大同生命よりの生命保険金については、その契約に係る保険料の全部を被相続人が負担していたと認められたので、相続税法第五条によるみなす贈与財産(みなす贈与年月日は昭和三九年一〇月一六日、みなす贈与者は中村重治、みなす受領者は中村真夕美)とし、みなす贈与の時期が事件相続開始の日(昭和三九年一二月一七日)の三年以内であるので相続税法第一九条の規定により本件相続税の三年以内贈与加算額中に算入したものである。(原告の相続税の申告のように、この金円を預金という相続財産としても、被告調査のように三年以内贈与加算額としても、結果としてみれば相続税の課税価格には変りはないものである。)

(ロ) 弘前相互銀行盛岡支店定期預金(右表順号10ないし12、14、15)、中村和豊、同重高、同真夕美、同昌彦名義および中村重治名義五口計一、八三〇、九九五円加算

これらの預金について被告がこれを調査したところ、名義が相続人のもので実質も被相続人の預金と認められたもの一口および名義は被相続人の被告の名義であるが、その実質は被相続人の預金と認められるもの四口が存し、これらの孫等の名義人は、いずれもいわゆる所得税法上の扶養親族であり(この孫等の生年月日等は次のとおりである。)原告主張のような贈与の事実が認められないことなどから、これらの預金は、いずれも相続人が孫等の名義を使用して銀行取引をしたものと認め、それぞれ相続財産に計上したものである。

〈省略〉

なお原告は、未成年者名義の定期預金は、それぞれ贈与を受けて取得したものであると主張するが、仮に、これら未成年者が贈与を受けたものであれば、その事実について親権者(原告およびその夫の中村繁次郎)は十分承知しているはずであるが、被告の職員の調査の際、当該親権者は本預金について知らないと答弁している。

また、仮に贈与を受けたものであるとすれば、すくなくとも中村重高名義分については相続税法第二八条による贈与税の申告を被告に提出すべきであるにもかかわらず、この提出がないのであるから原告の主張は事実に反する。また原告は、原告名義定期預金を原告の預金であると主張するが本預金についての被告の職員の調査の際、原告はその預金預入れ資金の出所については知らないと述べ、また、本預金は、被相続人の預け入れにかかるもので、かつ、被相続人所有のものであると述べたのであるから原告の主張は事実に反する。

(ハ) 弘前相互銀行盛岡支底(右表順号16、17)無記名二口一、八二八、八五五円加算

これらの預金について被告がこれを調査したところ、この預金は、その発生の経過等からみて、被相続人のものと認められたので相続財産に計上したもである。

原告は、本預金がその夫中村繁次郎のものであるとし、その理由として本預金は昭和三二年一二月に同人が盛岡市から買収された土地代金および養子縁組の際の持参金を預け入れたものであると主張する。しかしながら本預金についての被告の職員の調査の際、原告の夫中村繁次郎は、本預金が被相続人所有のものであると述べたこと、さらに、被相続人以外の者が本預金を預け入れたときは認められないところから、被相続人所有財産としたものであつて原告の主張は事実に反する。

なお、昭和三二年一二月に盛岡市は、被相続人からその所有宅地一九九坪三四を買収して、その対価二、四一二、〇一四円を支払い、また、同月盛岡市は中村繁次郎からその所有宅地四六坪八〇を買収して、その対価四六三、三二〇円を支払つたのであるから結局盛岡市からは、買収代金として被相続人が二、四一二、〇一四円を受領し、中村繁次郎は僅か四六三、三二〇円しか受領しなかつたのであつて、この土地代金を無記名定期預金に預け入れたとする原告主張はあたらない。

また原告は審査請求の時にも、本預金は中村繁次郎の盛岡市買収の土地代金から預金したものであると主張したが、審査請求に対する裁決の理由中に中村繁次郎の買収代金は前述のとおり本預金に満たないことを指摘されたので本訴において始めて養子縁組の際の持参金をも含めて預け入れをしたものであると主張したものと思料された。

仮に原告主張のように持参金をも預け入れたとすれば、その事実は原告にとつて極めて有利な事実であるから、被告の職員の調査の際および異議申立てとそれに続く審査請求の段階において、その旨の主張が当然にあるべきはずであるかそのような事実がないのであるから、この点からみても原告の主張は事実に反するというべきである。

(ニ) 中村タカ名義岩手銀行本店の普通預金No.九二四六三及び弘前相互銀行盛岡支店の定期預金No.二四六(右表順号4、13)二口五一四、八六二円加算

原告は、右預金を中村タカ固有の預金であるとも主張するが、被告はこの預金の預け入れその他の事実関係から、被相続人の預金と認めたものである。

(五) 家庭用動産申告額八〇、〇〇〇円、被告調査額二八二、三〇〇円

相続財産である家庭用動産の評価額は、原告ら申告額が八〇、〇〇〇円であつたところ、被告は更正処分にあたりこれを三八〇、〇〇〇円と評価した。ところが原告は、この被告調査額が過大であるとして異議を申し立てたので、被告盛岡税務署長は原告に対し家庭用動産の内訳明細書を提出するよう要求したところ昭和四一年五月二四日原告から家庭用動産の内訳と題する明細(以下当初提出明細書という。)次いで昭和四二年六月九日原告から中村重治家庭用動産明細申請書(以下第一次提出明細書という。)と題する書面の提出があつた。

そこで、被告は、この両書面を突合したところ当初提出明細書に記載があつて第二次提出明細書に記載が漏れている洋服(冬物、夏物各一、合物二)および靴(一足)が認められたので、この洋服および靴についてはその価額を七八、〇〇〇円とその他については、第二次提出明細書に記載された金額二〇四、七〇〇円(同明細書小計額の八〇、〇〇〇円に、同明細書小計額の二一四、七〇〇円を加算したもので、同期明細書中の借用品明細に記載されているものは算入していない。)をそのまま認容して、その合計額三八二、七〇〇円を家庭用動産の評価額とし、この金額と更正処分の際の評価額三八〇、〇〇〇円と対比した結果更正額には過大な点はないと認めたので原告の異議申立には理由がないとしたものである。

ところが訴外仙台国税局長は、原告からの審査請求に対する調査にあたつて、この原告から提出された明細書を検討した結果、たとえ相続開始時現在存していた家庭用動産であつても、相続開始直後において焼失、廃品となつた家庭用動産九七、七〇〇円は相続財産から除外するのが相当であると判定して原処分の一部を取消ししたものであり、結局家庭用動産の評価額は、原告自らが評価した金額を基として被告も評価したものであり、そのうえ相続開始直後焼却したような動産類についてもこれを除外して二八二、三〇〇円(380,000円-97,700円=282,300円)となしたものである。加えて原告提出の明細書によれば一般の家庭において当然保有されているものと考えられる寝具、食料品、趣味し好用品等の家庭用動産が算入されるべきであるのに算入されていない。したがつて、この明細書の時価をそのまま認容した被告の家庭用動産の評価は過少であるとのそしりを受けることはあつても、過大な評価であるということはありえない。

(六) 生命保険金申告額三〇〇、〇〇〇円被告調査額三〇〇、〇〇〇円

被相続人の死亡により三井生命保険相互会社から相続人以外の者である中村繁次郎が生命保険契約の保険金三〇〇、〇〇〇円を取得したが、この保険金についての保険料の負担者は被相続人と認められたので相続税法第一項第一号により被相続人から中村繁次郎に対するみなす遺贈財産として計上したものである。

なお、この生命保険金については、原告も同額を相続税申告額に計上している。

(七) その他財産申告額一、八六三、四七〇円、被告調査額二、四一二、九三八円

その他財産として計上したものの内訳は左表のとおりであるが、このうち、(有)光荘に対する貸付金を五〇〇、〇〇〇円加算して計上した理由は、昭和三九年一一月四日中村真夕美名義で(有)光荘に貸付けた五〇〇、〇〇〇円についてその実質債務者が被相続人と認められたので相続財産として計上したものである。

原告は、有限会社光荘に対する五〇万円の貸付金について原告が中村繁次郎から贈与を受けた金円を貸付けたものであると主張するが仮に贈与を受けた金円が存したとすれば、相続税法第二八条による贈与税の申告を被告に対し提出すべきところその提出がないのであるから原告の主張は事実に反するものである。

〈省略〉

2 原告を含む相続人らの取得財産価額から減算すべき債務控除は、申告額が三、〇一四、九九一円であつたのに対し、被告はこれを三、〇二五、三一八円と算定したが、その内訳は左表のとおりである。

〈省略〉

3 相続税法一九条による相続開始前三年以内の贈与金額は、申告がなかつたが、被告はこれを六九八、九三四円と算定した。その内訳は左表のとおりである。

〈省略〉

なお、右のうち、大同生命保険金の五〇〇、〇〇〇円については、前述三、1、(四)、ロ、(イ)記載のとおり中村タカ死亡による原告受取りの生命保険金である。

重加算税の賦課決定について

原告は隠ぺい仮装申告をした点は否課すると主張しているが、相続人の取得した預金の内隠ぺい部分が税務書の調査により容易に発見されないことを奇員として相続財産として申告せず、また、調査担当の税務署の職員に対して虚偽の預金残高証明書を提示するなどの行為を行なつているのであるから原告の主張は当たらないというべきである。

五  なお原告は前記のとおり昭和四〇年六月一五日被告に対し、本件相続税について、課税価格を四〇、二五一、一〇〇円とする相続税の申告書を提出しているが、本訴においては課税価格を三九、七八五、〇〇〇円と主張している。

(一) しかし相続税法は申告納税制度を採用し(相続税法二七条)、かつ、納税義務者が申告書に記載した課税価格および税額が適正に計算した額に比し、過大であることを知つた場合には、申告書の提出期限後一月以内に限り、当初の申告書に記載した内容の更正の請求することができる国税通則法二三条(昭和四五年法律八号改正前のもの)と規定している。ところで、そもそも相続税法が申告納税制度を採用し、申告書記載事項の過誤の是正につき特別の規定を設けた所似は、課税標準等の決定については最もその間の事情に通じている納税義務者自身の申告に基づくものとし、その過誤の是正は法律が特に認めた場合に限るたてまえとすることが租税債務を可及的速やかに確定せしむべき国家財政上の要請に応ずるためのものであり、納税義務者に対しても過当な不利益を強いるおそれがないと認めたからにほかならないと解される。したがつて申告書の記載内容の過誤の是正については、その過誤が客観的に明白かつ重大であつて特段の事情がある場合でなければ、法定の方法によらないで記載内容の過誤を主張することは許されないものといわなければならない。(昭和三九年一〇月二二日最高裁判決民集一八巻八号一七六二頁)

本件についても原告は昭和四〇年六月一五日相続税の申告書を提出し、その後被告の更正処分を受けるまでの一年八月の間、何ら申告額が過大であるとの主張がなく、被告の更正処分にかかる本件訴訟において前記の如き主張をするに至つたもので、その内容は明白かつ重大でなく、特段の事情があるとは認められないから原告の主張は許されないものといわなければならない。

(二) 右の点に関する原告の主張(前記第二、六参照)は国税通則法第一六条、第二九条を理解しない誤つた主張と考えられる。

すなわち

イ、申告納税制度を建前とする相続税法のもとにおいて、相続税の申告は納税者たる私人のする行為であるが、これに対しては、納付すべき税額の確定等公法上の法律効果が付与されているところであつて、既に確定した申告額の一部取消を求めるとすれば、まず、国税通則法第二三条による更正の請求によるべきである。

ロ、国税通則法第二九条の趣旨は、申告と更正とはあくまで別個の行為として併存し、したがつて更正の効力は、たとえば増額更正の場合は増差税額に関する部分についてのみ生ずるが、両者は、あくまで一個の納税義務の内容の具体化のための行為であるので、更正により申告はこれに吸収されて一体的なものとなり、ただ更正がなんらかの事情で取り消された場合にも申告は依然としてその効力を持続するという特殊な性格を有するものであるとの見解を前提として制定されたものと考えられ更正の効力は、これにより追加的に確定される納付すべき税額についてのみ及ぶものであつて、それにより申告がなかつたことに帰するものではないから、原告の主張には理由がない。

理由

一  被告が原告に対し昭和四二年二月一七日にした更正処分(仙台国税局長の昭和四二年一二月二八日の裁決により減額された)につき、別表第二(一)宅地、(二)家屋、(四)預金、現金、(四)家庭用動産、(七)その他財産(九)贈与加算額ならびに別表第一記載の重加算税および過少申告加算税賦課処分を除いて当事者間に争がない。

二、別表第二で原告が違法と主張する項目につきまず判断する。

(一)  別表第二(一)(二)記載のうち盛岡市神明前五七の一宅地一九〇坪四七、同五七の二宅地一一九坪四〇、計三〇九坪八七および同五七の一所在家屋番号三六の二店舗七一坪五〇の評価について

本件土地全体の面積は当事者間に争いがないが、被告はこれを利用現況に従つてA、B、Cの区画に分けて評価し、原告はこれを争うので考える。

成立に争いない乙第二号証、第五号証の一、第一二号証の一、第一三号証の二、第一七号証の一、二第三四、第三五、第四一号証、甲第一七号証の一、二、証人山岡勝次、同小林久夫、同斎藤金吾、同中村知義、同狩野光人及び同中村繁次郎の各証言によると次の事実が認められる。

1  被相続人の死亡当時、本件宅地の利用現況は別紙図面記載の通りである。

三画地のそれぞれの面積は

(一) 別紙図面A宅地(神明前57の2)

309.87坪(神明前57の1,2の公簿面積)-211.21坪(乙第34号証実測図57の1)=98.66坪

(二) 別紙図面C宅地(神明前57の2)-50坪

(三) 別紙図面B宅地(〃)

211.21坪(乙第34号証実測図57の1)-50坪(C宅地)=161.21坪

と算定される。

そしてA宅地、C宅地については貸宅地として評価したが、これらの評価について当事者間に争いない。

2  B宅地上の木造トタン葺(プロパン充填所)の建物は、被相続人が戦争中、鉄道の寮に貸したりするなどして使用所有していたが、昭和三五、六年頃光商事株式会社(以下光商事という)がプロパンガス充てん所にするため、ブロックで周囲を囲んだり、鉄筋を入れたり、トタン屋根に替えたりする工事を行つた。そしてそれ以降、光商事は盛岡市下厨川における高圧ガスの充てん所の使用開始前の昭和四〇年七月までここをプロパンガスの充てん所として使用してきた。この建物については光商事は被相続人に家賃を支払つておらず、この建物の敷地神明前五七の一の宅地について三万円の地代を払つていた。そして建物はかなり老朽している。

3  同じくB宅地上の木造トタン葺二階建住宅(事務所)の建物は、昭和三四、五年頃、被相続人が神明前五六の一にある自己所有の旅館の改装の際、壊した古材で木造二階建ての家屋を建て、ここの二階を右旅館の女中用の住居に使用していた。一階は時々光商事の物置にも使用していた。

被相続人死亡後の昭和四〇年すぎ、C宅地上の事務所の一部を改造する際、右事務所ができるまでここを光商事は使用していた。この建物についても光商事は資料を支払つていない。五七の一の宅地の地代は前記のように光商事が被相続人に支払つていた。この建物もかなり老朽している。

原告は、右建物を光商事に貸付けているものとして申告(家屋番号三六の二貸家七一坪五合、価額二二二、一七六円)している(この点は当事者間に争いない)。

右事実によると、被相続人所有の本件宅地は光商事に有償で貸与していたが、本件宅地上の前記二棟の建物は被相続人所有の建物で、これは光商事に無償で貸与していたと考えられ且つ原告は本件家屋を貸家として申告していることをあわせて考えると、被告が本件宅地を貸家建付地として、本件家屋を貸家として実質的に評価したことは首肯しうるところであり、宅地の評価は、単に筆数のみで評価されるものではなく、利用の単位となつている区画ごとに区分し評価することは許され、前記認定事実から被告がこれを三区分に分けて評価したことに何ら違法は存しない。

また、原告は、本件家屋について貸家として評価申告したことは錯誤にもとづくものであると主張するか、申告書の記載内容の過誤の是正については、その錯誤が各観的に明白且つ重大であつて、特段の事情がある場合でなければ、法定の方法によらないで記載内容の錯誤を主張することができないと考えるところ、本件はなんら法定の手続をふんでおらず本件訴訟において始めて右のような主張をするに至つたもので、前記認定事実から判断してその内容は明白かつ重大でなく、錯誤を主張するに足りる特段の事情があるものとは認められないから原告の主張は認められない。

従つて被告が、本件宅地を貸家建付地として、本件家屋を貸家として評価したことは正当である。

(二)  別表第二(四)記載のうち預金について。

弘前相互銀行盛岡支店の預金番号六八中村和豊名義、同一五二中村重高名義の各定期預金。

成立に争いない乙第八、第三九、第四〇号証、証人長岡伍郎、狩野光人の各証言により成立を認める乙第三六号証、証人長岡伍郎、同高梨子清重の各証言により成立を認める乙第三八号証、証人長岡伍郎、同中村知義、同狩野光人、同高梨子清重及び同中村繁次郎の各証言を総合すると次の事実が認められる。

1  中村和豊名義の預金は、昭和三八年六年六日、中村タカ名義で金三〇万円を預入れたもので、満期後の昭和三九年六月八日元利とも金三一万五、七六一円を被相続人名義に書替えしたものを、同年一一月一九日中村和豊名義に書替えられた。

2  中村重高名義の預金は、昭和三九年五月一七日、被相続人名義で預入れたものを、同年一一月一七日中村重高名義に書替えられた。

3  弘前相互銀行盛岡支店の被相続人名義定期預金元帳の昭和三九年一二月一九日欄には、「40.25残高証明発行39.12.17」その上段の残高欄には、「2,715,761円」と記載され、同行同店は昭和四〇年二月五日に該定期預金の昭和三九年一二月一七日現在の金二七一万五、七六一円の預金残高証明を発行した旨の記載がある。

4  ところが、国税調査官狩野光人が、昭和四一年に同行同支店を調査した際、右二月五日付の残高証明書は提示されず、被相続人名義の番号二五四の定期預金金三〇万円の記載のある昭和四〇年三月五日付の残高証明書が提示された。

同支店に保管してある定期預金元帳には右三月五日の残高証明発行事項の記載がない。

5  被相続人名義の定期預金取引は昭和三九年一二月一九日、同四〇年二月二二日、同年九月一日に同行同支店と行なわれたように定期預金元帳に記載されているが、昭和三九年一一月一九日の預金番号一五二、同六八の名義変更は昭和三九年一二月一九日と昭和四〇年二月二二日の取引欄の間に変則的に記載されている。

6  同行同支店では、名義変更手続は、定期預金証書と申込印を提出させ、名義変更依頼書を書かせ、これに基づいて名義変更させているが、通常の場合、名義変更依頼書が出されて支店長の決裁により即日書替えられる。昭和三九年一一月一九日には名義変更依頼書は作成されていなかつた。そして、本件の変更依頼書の被相続人の署名押印を誰がしたか明らかでなく、同支店の手続は被相続人が死亡した同年一二月一七日の僅か二日後の同月一九日に処理されており不自然である。また昭和四一年に国税調査官狩野光人が、調査においた際、同支店は右名義変更依頼書がないということで提出しなかつた。昭和四三年に仙台国税局の高梨子税務署職員が調査に行つた際、はじめて昭和三九年一一月一九日付の名義変更依頼書を提出した。

7  昭和四一年に国税調査官狩野光人が調査に行つた際、同支店には中村重高の預金元帳はあつたが、中村和豊の預金元帳はなかつた。

中村重高の預金元帳によると、預金の一番最初の日付は昭和四〇年六月五日になつており、昭和三九年一一月一九日の預金名義書替の記載がない。

証人長岡伍郎、中村繁次郎の証言のうち、右認定に反する部分はたやすく信用することができず、他に右認定を復すに足りる証拠はない。

右事実によれば、本件各定期預金は、中村和豊、中村重高の名義が使用されてはいるが、その実質は被相続人の預金であつて、同人が孫の和豊、重高の名を籍りて銀行取引したものと認められ、原告主張の贈与の事実は、認められない。

従つて、被告がこれらを相続財産に計上したことは正当である。

弘前相互銀行盛岡支店の預金番号二四六中村タカ名義の定期預金、岩手銀行本店の預金番号九二四六三号同人名義の普通預金

成立に争いない乙第八号証、証人高梨子清重の証言により成立を認める乙第一一号証、証人長岡伍郎、同中村知義、同狩野光人及び同中村繁次郎の各証言を総合すると次の事実が認められる。

1  預金番号二四六定期預金は昭和三九年二月一八日中村タカ名義で金五〇万円を預入れた。

これは被相続人名義の普通預金番号九一-五六一から引出して右定期預金源としたものである。

そして被相続人はタカ名義の他の定期預金から同年六月六日金三〇万円を引き出して被相続人名義へ増額書替している。

2  昭和四一年に国税調査官狩野光人が調査した際、光商事の事務所で中村繁次郎はこの預金の内容は知らない、貸金の出所はわからない、タカはこういう大きな金をもつていないがヘソクリ程度の金はもつている旨返答している。

3  中村タカは収入を得るような仕事はなく、被相続人がいないとき代りに旅館を手伝つていたにすぎず、旅館の会計は被相続人が行つていた。

証人中村繁次郎の証言中、右認定に反する部分は信用できない。

右事実によれば、本件定期預金及び普通預金は、中村タカの名義であるが、その実質は被相続人の預金であると考えられ、原告主張の贈与の事実は認められない、従つて、被告が本件各預金を、被相続人の妻のタカ名義を使用して被相続人が銀行取引したものと認め、相続財産に計上したことは正当である。

弘前相互銀行盛岡支店の預金番号六八二原告名義の定期預金について、

成立に争いない乙第八号証、証人長岡伍郎、同狩野光人及び中村繁次郎の各証言を総合すると次の事実が認められる。

1  右預金は昭和三七年一二月二二日原告名義で預入れたもので、昭和三八年一二月二五日利息を追加し総額を書替えし、昭和四〇年一月一三日中村繁次郎の他からの借入金返済に充当した。

2  昭和四一年に国税調査官狩野光人が調査した際、中村繁次郎も原告も各自が預金したものではない旨返答していた。

3  原告は、中村繁次郎と昭和三〇年一二月に結婚し、原告は収入を得るような仕事もなく、一家の主婦として働いていたもので、格別多額の金はほとんどもつていない。

証人中村繁次郎の証言中、右認定に反する部分は信用できない。

右事実によれば本件定期預金は原告名義であるが、その実質は被相続人の預金であると考えられ、原告主張の贈与の事実は認められない。従つて、被相続人が娘の原告名義を使用して銀行取引したものと認め、被告がこれを相続財産に計上したことは正当である。

弘前相互銀行盛岡支店の預金番号七九中村昌彦名義の定期預金について。

成立に争いない乙第八号証、証人長岡伍郎及び同狩野光人の各証言を総合すると次の事実が認められる。

1  右預金は、昭和三七年二月一四日、中村昌彦名義で金一〇万円預入れたもので、昭和三八年二月一六日金一一万円で書替し、昭和三九年三月二四日金一六万円で書替えた。

2  中村昌彦は、被相続人の孫で、右金員を最初に預入れた昭和三七年当時満一歳である。国税調査官狩野光人が調査した際、昌彦の両親である中村繁次郎も原告も、この預金については知らない旨を述べていた。

証人中村繁次郎の証言中、右認定に反する部分は信用できない。

右事実によれば本件定期預金は、中村昌彦の名義を使用してはいるが、その実質は被相続人の預金であると考えられ、原告主張の贈与の事実は認められない。従つて被相続人が孫の昌彦名義を使用して銀行取引したものと認め、被告がこれを相続財産に計上したことは正当である。

弘前相互銀行盛岡支店の預金番号九〇七、同一〇二七の無記名定期預金について。

成立に争のない甲第一号証の一、二、乙第二、第九号証、証人高梨子清重の証言により成立を認める乙第一〇、第一一号証、証人狩野光人、同高梨清重及び同中村繁次郎の各証言を総合すると次の事実が認められる。

1  本件無記名定期預金は昭和四一年に国税調査官狩野光人が、調査して始めて判明したものである。その際中村繁次郎は、当該預金は昭和三二年に被相続人所有の二〇〇坪の土地を盛岡市に金二四〇万円で売却した代金を預入れたものである旨のべており、被相続人は自己所有の土地(盛岡市神明前五八番の二、一九九・三四坪)を昭和三二年一二月一五日盛岡市に金二四一万二、〇一四で売却している。同時に中村繁次郎も自己所有の宅地を盛岡市に譲渡しているが、これは金額にして四六万三、三二〇円と僅少である。

被相続人は昭和三四、五年頃自己経営の旅館光荘の増改築に六〇〇万円以上かかるので、弘前相互銀行盛岡支店に七〇〇ないし八〇〇万円融資をうけ、高利貸から一六〇万円を借入れ、自己所有不動産に抵当権を設定しているが、被相続人は資産家であつて、借金があるからといつて、定期預金をする余猶がないとはいえない。

2  預金番号九〇四の定期預金は、昭和三六年九月二一日預入れの番号二七九中村繁次郎名義金一五万円の定期預金と同月二六日預入れの番号一二六中村繁高名義金二〇万円の定期預金と、同日預入れの番号一二五古舘繁高名義金二〇万円の定期預金の三口を、同年一二月二八日に引き出し、これでもつて番号三六八三金五五万円の無記名定期預金にし、その後昭和三八年一月八日に番号九九二を経て昭和三九年一月一七日番号九〇四となつたものである。

右番号三六八三の定期預金証書の上欄の空白に、「光商事(中村重治)」の鉛筆書きの記載がある。

この預金証書の裏面には、冷厳という印が押捺されてあるが、前記三つの定期預金証書には、中村という印影が押捺されてある。

3  預金番号一〇二七の定期預金は、昭和三四年五月一二日に、番号九四中村京子名義三〇万、番号九六中村修名義三〇万、番号九八中村久子名義一〇万、番号九三中村良子名義二〇万、同月一六日中村繁次郎名義二〇万となつていたものか、昭和三六年二月一〇日に番号九四は番号七〇一を経て番号一五六八に、番号九六は番号六九九を経て番号一五七〇に、番号九八は番号六九七を経て番号一九七三に、番号九三は番号七〇二を経て番号一五六七に、番号一〇三は番号八五八の古舘正虎名に変更を経て番号一五七五になり、更に昭和三七年二月一〇日、右五口合計一二〇万の番号二八七無記名定期預金を経て、昭和三八年二月一四日番号一二七〇となつた後、昭和三九年二月一四日番号一〇二七となつたものである。

右番号二八七及び一二七〇の定期預金証書の上欄の空白には、それぞれ、「中村重治」の鉛筆書きの記載がある。

番号二八七の預金証書の裏面には〈冷厳〉という印影が押捺されてあるが、前記番号七〇一、六九九、六九七、七〇二、八五八の定期預金証書には〈中村〉という印影が押捺されてある。

そして番号二八七の無記名定期預金か、昭和三八年二月一四日に番号一二七〇に書替えられた際、預金の利息に対する源泉所得税についての伝票の起案か、被相続人名義の定期預金の利息に対する源泉所得税分と一括して一枚の伝票で起載されており、銀行の経理としては被相続人の源泉税として取り扱つた形式になつている。

4  〈冷厳〉という印顆は、中村繁次郎が、所有使用しているもので、〈中村〉という印顆は被相続人が所有使用しているものである。

証人長岡伍郎、同中村繁次郎の各証言中右事実に反する部分は信用できない。

右事実によれば本件各無記名定期預金は、その発生の経過、銀行の取扱い等からみて被相続人の預金であることが認められる。

従つて被告が本件無記名定期預金を被相続財産に計上したことは正当である。

(三)  別表第二(五)記載家庭用製産について。

成立に争いない乙第七号証の一、二、第四五号証、証人小林久夫、同中村知義の同高梨子清重の各証言を総合すると次の事実が認められる。

1  原告が更正処分に対し過大であるとして異議を申立てた際、盛岡税務署長は、原告に対し家庭用動産の明細書を提出するよう要求したところ、原告らの依頼をうけた宮田会計事務所の事務員中村知義が、家庭用動産の明細を相続人の方から書いて出してもらい、それを清書して昭和四二年五月二四日「家庭用動産の内訳」と題する書面を提出した(当初提出明細書)。

2  税務署長は、所得価格、時価が不充分なので、内訳に記載してある動産をどのように処分したのか備考欄に書くよう求め、光商事の事務員中村久夫は、原告や光荘の女中などから意見を聞いて「中村重治家庭用動産明細申請書」と題する書面を提出した(第二次提出明細書)。

3  第二次提出明細書には、当初提出明細書に記載があつた洋服(冬物、夏物各一、合物二)及び靴(一足)がもれていたこの洋服と靴の時価合計は一一万、八、〇〇〇円である。

右明細書中、焼失廃品となつた家庭用動産は、時価合計九万四、七〇〇円である。寝具、食料品、趣味、し好用品等の家庭用動産は右明細書には記載されていない(借用品明細書は計算に入つていないので除く)。

第二次提出明細書中、借用品明細書を除いた時価合計は金三〇万四、七〇〇円である。

4  更正処分の際は一括評価方式で評価したが、異議、裁決の際は個別評価方式で評価した。

右事実によれば、第二次提出明細書時価合計三〇万四、七〇〇円に、右明細書には記載のもれている洋服及び靴時価合計一一万八、〇〇〇円な加算すると四二万二、七〇〇円となり、焼失・廃品となつた動産時価合計九万四、七〇〇円を減算すると三二万八、〇〇〇円となる。

従つてこの明細書の時価をそのまま認容した被告の家庭用動産の評価は過大な評価ということはありえないので、正当である。

(四)  別表第二(七)記載その他の財産(有限会社光荘に対する寄付金)について。

証人狩野光人の証言により成立な認める乙第四六号証、成立に争いない乙第四七号証及び証人狩野光人の証言を総合すると次の事実が認められる。

1  昭和三九年一一月二四日有限会社光荘(以下光荘という)は、原告から金五〇万円を借入れ、右五〇万円は三井生命保険会社からの受取保険金である旨光荘の個人借入金関係メモに記載されていた。

2  三井生命保険会社からは、訴外中村タカ死亡により昭和三九年一一月五日金三〇万円が被相続人に支払われている。

右事実から、原告名義で光荘に買付けた五〇万円の債権は、その実質債権者は被相続人であると認められる。従つて被告が、本件債権の実質債権者を被相続人と認め相続財産の計上したことは正当である。

(五)  別表第二(九)記載贈与加算額について。

成立に争いない乙第四号証及び証人狩野光人の証言を総合すると次の事実が認められる。

1  岩手銀行本店預金番号九六八〇七被相続人名義普通預金は昭和三九年一一月一七日新規預入れ四九万〇、七三〇円によつて発生したものであるが、この金員は被相続人の中村タカが昭和三九年一〇月一六日死亡したことにより大同生命保険相互会社との生命保険契約(保険金額五〇万円、被保険者中村タカ、保険金受取人原告)に基づく保険事故が発生し、保険金受取人である原告が生命保険金を取得したのでこれを被相続人名義普通預金として新規に預入れたものである。

2  また前記のように中村タカは収入を得るような仕事はなく、被相続人の旅館を手伝つていたにすぎない事実からすると、右大同生命保険金について、その契約に係る保険料の全部を被相続人が負担していたものと認められる。

従つて被告が、本件預金を、みなす贈与財産とし、みなす贈与の時期が本件相続開始の日の三年以内であることかつ本件相続税の三年以内贈与加算額中に算入したことは正当である。

1  重加算税の賦課決定について

被相続人名義であつた弘前相互銀行盛岡支店預金番号六八、同一五二の定期預金を相続開始後すぐに名義変更したこと2実質的に被相続人所有のものにかかわらず、孫、妻、娘である原告各名義にしていたことをそのままにして申告しなかつたこと3無記名定期預金について申告しなかつたこと4当事者間に争のない弘前相互銀行盛岡支店の預金番号一三三の被相続人名義の定期預金を申告しなかつたこと5昭和四〇年二月五日付の預金残高証明書では前記1の名義変更後の金額と一致しないので、同年三月五日付で虚偽の預金残高証明書の発行をうけ、これを狩野調査官に対し提出したことなど前記(二)別表第二(四)記載の預金についての各認定事実を総合判断すると、原告は相続税の確定を逃れるため取引銀行に対し、相続前に遡つて名義変更したり、虚偽の残高証明で仮装したり、無記名定期預金は名義が判明しがたいことを利用して申告しなかつた等考えられ、別表第四記載の定期預金は隠ぺい仮装申告したと認めるに足るものであり、そのうち無記名定期預金、被相続人名義定期預金を除いてこれを対象に重加算税を賦課(裁決においては不利益変更不可のため)したことは相当である。

四、以上の次第で爾余の点について判断をなすまでもなく、原告の本訴請求は理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 片岡正彦 裁判官 児玉勇二 裁判長裁判官石川良雄は転任のため署名押印することができない。裁判官 片岡正彦)

別表第一

〈省略〉

別表第二

〈省略〉

別表第三

〈省略〉

別表第四

隠ぺい仮装財産の明細表

〈省略〉

別表第五

〈省略〉

判決書添付図面

(昭和43年(行ウ)第9号事件。)

盛岡市神明前57―1,57―2の昭和39年12月17日現在の現況図および付近見取図

〈省略〉

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